シュミダス

【楽しい事】【おもしろい事】発見ブログ

*

三田市の歴史ポイント|vol.12:母子(もうし)、永澤寺(ようたくじ)

      2015/12/18   あとで読む

 - あなたの知らない三田市の歴史 , , , , , , , , ,

この記事の所要時間: 212

母子(もうし)、永澤寺(ようたくじ)を紹介する

スポンサーリンク

母子(もうし)、永澤寺(ようたくじ)について

三田市の北部、篠山市と隣接するこの地方は周りを山に囲まれ、JR三田駅に行くのにも車でも30~40分かかる。古くは、兵庫県有馬郡小野村母子(もうし)、永澤寺(えいたくじ)であった。(寺の名前は、ようたくじで、地名はえいたくじである。)下の写真は、母子から篠山市へ降りる道にある三国峠である。

永澤寺_01

永澤寺(ようたくじ)への道

この地区への道は現在一つ目が篠山から三国峠を越えてはいる方法と、二つ目が三田市の青野ダムの横を通り伝説の「尼ん滝」を通り茶香房きらめきの横を通りはいる方法と、三つ目は三田市小野、乙原から入る方法がある。現在路線バスが通っているのは、三つ目の方法である。かつては、一つ目のコースで国鉄バスが運行されていてこの地区の人々の生活は篠山とつながりが深かったと言える。

 さて永澤寺と言えば、通幻禅師によって室町時代に開かれた古刹であり、いろいろな法要が行われ、信仰の対象として有名である。三田の民話「通幻さんと龍のうろこ」に述べられているように不思議な伝説も多い。また手打ちそば道場や芝桜、花菖蒲など見学できるところも多い。

民話/通幻さんと竜のうろこ

永澤寺(ようたくじ)の場所

母子(もうし)について

 次に母子(もうし)であるが、これも伝説でおよそ1400年ほど昔この地を領地として与えられた猫間(ねこま)中納言が、かれんな黄色い花を天皇に献上し、これが毎年続けられたので奉公草と言われるようになったそうである。中納言が亡くなってからも、奥方と子どもが献上してきたので、いつしかこの花を母子草と言うようになったそうである。これが地名の由来だそうだ。

猫間(ねこま)中納言

 歴史的な事実に戻ると平成6年三田市教育委員会発行の「さんだのいせき2」によると、母子小学校の改築が行われた際に試し掘りをすると鎌倉時代の柱穴や溝、たくさんの土器が見つかったそうである。その後発掘調査が行われ大きな屋敷跡が発見されたと言うことである。ここからは中国からもたらされた白磁の碗や皿が出土している。かなり有力な農民がいたと考えられるそうである。

 この辺りは、お茶の栽培も盛んに行われており、前に述べた茶香房きらめきでは、製茶の作業が見学できることもある。(母子茶の刈り取りの頃)また、永澤寺門前、茶香房などで販売もされている。この頃では、ペットボトルの母子茶も販売されている。時間があれば行ってみたいところである。

永澤寺_02

The following two tabs change content below.
歴史マニアオヤジ

歴史マニアオヤジ

三田市在住の歴史大好きなオヤジ。最近は遺跡発掘作業に没頭。今までためてきた歴史に関する知識を公開していきます。
この記事を気に入って頂ければシェアのご協力お願いします。
この記事は 7 シェアされています

  関連記事